江戸時代の湯灌
2017.09.29
湯灌を行うに際して、江戸時代には地方によって多様な風習や作法がありました。
たらいに水をはっておき、そこに湯を入れる「逆さ水」や柄杓ややかんを左手に持つ「左びしゃく」、湯灌に使用する水を汲みに出かけた者を必ず誰かが後から呼びに行く「声かけ水」や、近親者が裸になり縄帯・縄襷で洗う作法、使い終わった湯は、日の当たらない床の下や藪かげ、あるいは土に穴を掘って捨てるといった作法など、その他にも様々な風習などがありました。
死者には湯灌のあとで経帷子(きょうかたびら)を着せました。経帷子は、白麻や白木綿の着物で、近親の女性が共同で仕立て、糸のシリは止めないしきたりでした。
これを左前に着せて帯をし、手甲や足袋・脚半を着け、頭陀袋には五穀や六文銭(六道銭、三途の川の渡し賃)を入れます。
当時、地主や家持でない者は、自宅で湯灌をすることが禁じられていたため、「湯灌場」(ゆかんば)という寺の一画に設けられた湯灌をするための場所で行っておりました。
さらに、その湯灌場を回り死者の衣服を買い集める業者を「湯灌場買」(ゆかんばがい)と言いました。